辛い時に救ってくれたのは「言葉」だった。実際に辛い時に支えて貰った詩人たちを紹介します。

こんにちは。元文学少女、もうすぐアラフォーのかげこです。

たまに、「ええ年してなにやってんだろうなー」と思うことがあります。

みなさんは辛い時、どう過ごしてますか?音楽を聞く?お酒を飲む?友達と会う?買い物をする?ひたすら寝る?

私は、詩を読むことが多かったです。

会社員時代、トイレでこっそり詩を読んでいた

会社員だった頃は、仕事の覚えも悪く、ぼんやりとしていてミスをしては周りに迷惑をかけて、めそめそすることが多かった私。

トイレに詩を置いて、二〜三個読んで職場に戻ったりしてました。

ふわっと救ってくれるような詩を読めば、あと数時間は持ちこたえれる。そんな時期もありました。

自分という存在はとても大きく、そして、ちっぽけである。

詩というのは、己の存在を、地球のごま粒のようにも思わせてくれるし、自分が宇宙の大事な一部分のようにも思わせてくれるものです。

生きていれば、ベッドから起き上がることが出来ないくらい、精神的に落ち込む日もあります。

悩みを小さなものにしたり、生きている喜びに目を向けさせて貰って、かろうじて息を吸って吐くことができる。

この一文を糧に、少し前向きになれた」そんな詩に出会えた私は幸せだったと思います。

私を励まし続けてくれた詩人を紹介します。

詩人・童話作家 宮沢賢治

有名すぎる詩「雨ニモ負ケズ」。

この詩をプリントアウトして、会社のデスクの透明カバーの下に挟んでいました。

雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい

さむさのなつはオロオロ歩きという部分の、

オロオロがとっても好きです。その表現に、愚直さや不器用さが詰まっていて、たまらなくいいですよね。

そして、こんな人が会社に一人は紛れ込んでいて、「この人は雨ニモ負ケズの人だ!」と勝手に思ってファンになってました。

俳人 種田山頭火

「いつも心に種田山頭火を」が、私の合い言葉です。

お金持ちの家に生まれ、勉強もよくできた。結婚もして子供もいたが、まっとうな社会ぐらしが出来なかった。お酒が人生をどうしようもないものにしていった。

行乞をしながら、お酒を飲み、お寺の軒下で眠り、無一物で、旅を続けながら句を書いた俳人です。

「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」

と自分の人生を表現しています。

そんな山頭火が書く句のまなざしは、目線が低い。

雑草のような石ころのような、小さな虫のような目線から見る世界に、はっとさせられます。

  • 草にも風が出てきた豆腐も冷えただろ
  • ぬいてもぬいても草の執着をぬく
  • やっぱり一人がよろしい雑草
  • ぬれてうつくしいバナナをねぎるな
  • こほろぎがわたしのたべものたべた
  • ひとりの火がよう燃えます
  • しばらく歩かない脚の爪伸びているかな
  • みごもってよろめいてこほろぎかよ
  • よい道がよい建物へ、焼き場です
  • ともかくも生かされてはいる雑草の中

今の時代に山頭火が生きていたなら、どんな句を読んだかな?と、ふと思うことがあります。

詩人・書家 相田みつを

ずっと相田みつをの詩が好きではなかった。

あの、わざと崩した字、がんばれと正面から言ってくる詩・・・小学校の時に、担任が好きで壁に張っていた詩の文字がわざとらしく、好きではなかったんです。

割と年期が入ったアンチみつをだったのですが、きっかけは忘れてしまいましたが、三十路にさしかかったあたりで長いアンチが終わりました。

人間だもん!!」を多用し始めました。「これでいいのだ!」的な開き直りが、使える!と思ったのでしょう。

なにもできない私。

ミスを連発する私。

・・だって、人間だもん!!

全部を肯定してくれる詩が、相田みつをさんだったんです。

ただいるだけで

あなたがそこに

ただいるだけで

その場の空気が

あかるくなる

あなたがそこに

ただいるだけで

みんなのこころが

やすらぐ

そんなあなたに

私もなりたい

 

せめて、こんな人であろうと、仕事をしていました。

 

「こやしじゃーなる」に通ずる詩です。こやしじゃーなるのこやしは「肥やし」です。

 

俳人 岩崎航

岩崎稔と申します。 私は全身の筋肉が正常に作られず体が動かせなくなる難病「筋ジストロフィー」を抱えながら生きています。

常に人工呼吸器を使って、食事は胃瘻から栄養を入れて、24時間、生活動作の全てに介助を得ながら自宅で暮らしています。

岩崎航というペンネームで詩やエッセイなどの著述を仕事にしています。(ご本人の自己紹介文より)

 

(写真:ご本人twitterより)

ほぼ日で知って、本屋で買ったときから、一時期などは肌身離さず持ち歩いていました。

障害者=可哀想 そんな価値観、押し付けないでくれないかと、言葉をアイスピックのように尖らせて、正面から刺してゆく。

一方で、一歩も歩けないベッドの上から、歩きまわれる私たちに向かって「生きろ」と勇気づけてくれる。

 

この本が、あなたの言葉が、私の点滴でした。

できること

できざることとを

問う我は

いったい何が

できれば良いのだ

 

青春時代と呼ぶには

あまりに

重すぎるけれど

漆黒とは

光を映す色のことだと

 

 

ぼく自身も

誰かの伴走者になって

はじめて

完走できると

思うのだ

 

点滴ポールに

経管食

生き抜くと

いう

旗印

まとめ

啓発本も、ハウツー本もたくさん読んできましたが、やっぱり著者の生き様だ!!と思う部分があります。

 

宮沢賢治は、生きている間に本はまったく売れませんでした。

山頭火は、無一物で死んでいきました。

相田みつをさんが売れたのは60歳を過ぎてから。

岩崎さんは、24時間介護が必要な状況で生きている。

 

その詩を書くために、そんな生き方をあえて選ばされていたのではないか?と思うぐらい、過酷な生き方の詩人たちです。

ふわっと救い上げられるような言葉に、きっとめぐりあえると思います。

ぜひ読んでみてください。